3月のカルテ2

増田さんは2月は成人の精神科の担当だったらしい(だから斎藤さんの担当だったのだ)

3月からは児童精神科になるらしいので心のどっかで楽しみがあった。

 

増田さんに似顔絵を描いてあげた。

 

「ヒビちゃんは増田くんの似顔絵を描くのに私のは描いてくれないのね。」

 

的な事言われてワイ氏漏れそうになった(?)

 

その時2月の担当研修医の南岡さんは

増田さんに嫉妬をしていた。

 

「増田くん、すごく研修医のみんなに自慢してたよ。どんだけ嬉しいんだってね。」

 

増田さんが喜んでくれて嬉しい反面正直その言葉が怖かった。だから私は2月31日急いで南岡さんの似顔絵を描いて渡した。怖かった(2回目)

 

3月

「よっ!今日から担当研修医になる増田って言ってもわかってるかwww」

 

そう言ってこの研修医は私の横に座る

 

「仲里さんのことあんまり俺わかんなくて。

担当じゃなかったからカルテも見てなかったからさ。だから教えてくれる?」

 

なんだその乙女ゲーで言いそうなセリフは。

 

「アニメとかいつから見てるの?」

 

ハルヒとからき☆すたが流行った時代から見てるから…幼稚園頃かな」

 

「幼稚園!!!!!!!!!

好きなアニメは?」

 

キルラキルっていう制服がテーマの話」

 

「あれ好きなの?www」

 

そんなようなオタトークを続けていた。

そんな時間が楽しくて楽しくて仕方がなかった。

 

 

「じゃあ本題入るね」

 

「え?」

 

「なんでODしちゃったの?」

 

は…?

 

時が止まった。

ザ・ワールドか…?これは…。

 

「えっ…いや…その…」

 

「大丈夫だよ。」

 

吃る。

 

あの時の記憶がドドドドドドって

蘇ってきた…。

 

冷や汗が…。

 

「…し…し…死にたかった…。

死ぬこと…は…怖くなかった…。

みんな…ひどいんだ…。

みんな…私に死ねっていうんです…。

ご飯食べてる時も、お風呂入ってる時も、

「お前にそんな価値ない」って…

もう…いっそ死んじゃおうかな…って…

大量に…薬を飲みました…」

 

そうなのだ。

 

 

親、友達から貰った愛情、友情は

その時は嬉しいけど

 

辛いことがあったら

上書き保存されて忘れちゃうものである。

 

例えば仲の良かった友達と

喧嘩したらその子との記憶は喧嘩で

終わってしまうということ(語彙力足りない)

 

それは親でもそうなのだ。

 

統合失調症って殺人鬼が多いんだよ」

 

「幻聴?俺だって聞こえるよ。

酔っ払った時にな。あっーーはっはっはwww」

 

 

その誰もわかってくれない気持ちが

抑えきれなくなり私は

取り返しのつかない腕ではなく

髪を切ってしまいました。

 

ロングだった黒くて長い髪を

私は涙で顔がぐっしゃぐしゃになってまで

ハサミで髪の毛を切っていました。

 

こんなこと辞めたいのに…

 

 

 

増田さん…?

 

そこに居たのは困った顔の増田さん。

 

なんでそんな顔するの。

 

いつもみたいに軽く受け流してよ…

 

 

「実はね、俺親と縁切ってるの。」

 

「えっ…」

 

「殴られたり蹴られたりで

いろいろあって広島からこっち横浜に来た」

 

「どうせ親なんて血の繋がった他人なんだし」

 

「20歳過ぎれば道なんてめっちゃ出来るんだし」

 

「だからがんばって今生きてて欲しい…

つらいと思うけど…」

 

「20歳過ぎたらいろんなこと出来る!

 

俺なんて高校時代の友達なんて誰一人いないし

酒だって飲める!!!

鉄砲の免許だって持てるんだ!(これは謎)」

 

「俺は今が一番楽しいなぁ。」

 

「君が20歳過ぎててさ!

偶然横浜とかで会ったら一緒に酒飲もう!」

 

「たった少しの可能性だけど

生きてれば必ず…会えるから」

 

そう言ってくれた増田さんがいつの間にか大好きになっていった。

正直嘘の言葉でも嬉しかった。

 

「うんっ…!」

 

ありがとう。増田さん。

 

 

 

 

この日の夕方、私は解離した状態で

病棟内で大暴れをした。

 

続きます。