3月のカルテ5

保護室辛いと思うけど、俺早く来るから」

 

 

それを信じて絵を書いていた時のこと

 

 

保護室は8時就寝だよ」

 

「え」

 

8時消灯

 

はぁ!?6時間寝ても2時だぞ!!おい!!

ふざけんな!!!!!!!!!

 

はじめての保護室ライフは

頭がおかしかった。

 

最近のおじいちゃんおばあちゃんでも

8時就寝はないだろ…。

 

とか考えながら私はゆっくり眠りにつけるわけもなく、ひたすらに明日書く絵の内容を考えていた。

 

 

6時起床

 

8時まで食事が来ないがこのままゴロゴロしててもキツいだけだと思い起きた。

 

1時間ほど絵を書き続けただろうか。

 

いつもならデイルームに出てテレビをつけて

絵を書いてるんだけどなぁ…

 

無音で描いているとなんだか虚しくなった。

 

ガチャッ

 

外からドアを開ける音がした。

「だれ…?」

 

そこに居たのは主治医。

「先生…」

 

保護室入ってどうかな。

なんか、こう、暴れたい気持ちとか。」

 

「いや、元からそんなのないです…

とにかく出たくて出たくて…

とりあえず黙ってようと思って…」

 

「そっかぁ…ごめんね。

ちょっとヒビさんの声量だと他の患者さんがビックリしちゃうからさ…本当ごめんね」

 

「いえいえ、大丈夫です。

全部私が悪いんですから…」

 

「そんなことない。」

 

「いや、そうなんですよ。

入院のストレスをここに吐いてるだけなんです」

 

「申し訳ない…」

 

そう言って先生は部屋に鍵をかけて行った。

 

入院したのは何回もあるが

鍵をかけられたのは初めてだった。

 

正直今も動揺してる。

 

その日の朝。増田さんは来なかった。

 

 

どんどどどんどんっどんどんっ♪

 

なんだこのノックの仕方は…。

誰だろ…。

 

ガチャ

 

「やぁ。」

 

「増田さんかwwwwww

誰かと思ったよwwwwwwwww」

 

「朝ごめんね。

看護師にそうゆうのダメだからって言われちゃって」

 

「あぁ、そうだったんですか。

てか早く来てはくれたんですね。

ありがとうございます。」

 

「そうなんだよね。

別にいいじゃんかね〜」

 

「ねぇ〜」

 

増田さんとたわいのない話をして

増田さんはほかの患者さんのところに行った。

 

 

そう言えば母さんはいつ面会にくるのだろう。

 

あんまり来ないなぁ…。

 

私のお母さんはマッサージ師で

ラクゼーションサービスをやっている。

 

正直言ってかわいい。(母親なのに)

 

うちの家庭内環境はこんな感じです。

 

私が小学6年生の時母と父は離婚しました。

父は不倫(多分)をして母に暴力を振るようになりました。そして離婚したのが今の状態です。

 

隔離されて何も書くことないので

私のプロフィールでも。

 

2002年3月15日金曜日。

2800gぐらい(適当)の女の子が

横浜のど真ん中で産まれました。

それが私です。

 

幼稚園の頃は仏教の幼稚園通ってました。

謎に般若心経歌わされたなぁ(白目)

 

小学生の頃は下ネタ大好きな女の子でした。

いつも下ネタを話してはみんなから面白がられて正直女の子より男の子との方が仲が良かった。

 

そして私が修学旅行から帰ってきた瞬間

父と母が離婚しました。

 

日光に行って家族にお土産で買ってきたお蕎麦。

家族みんなで食べた最後のお蕎麦。

 

忘れません。

 

小6の頃の小説の題名が「家族」だった。

その時私は正直に母と父は離婚したと書いたら

学校の先生に怒られた。

意味がわからなかった。

ちゃんと私は本当の事書いただけなのに。

 

そのまま小中一貫で中学に上がりました。

 

私は父と母が別れたことに関しては

別にもうどうでもよかったのが本心です。

 

父が1階で暮らし

母が2階で暮らし

私が3階で暮らしてるっていう

本当に仲の悪い家族でした。

 

中学からは私の人生は

どん底へと引きずり込まれました。

 

「ねぇ、ヒビの親、離婚したらしいね」

「え〜?!そうなの?」

 

小中一貫だからほとんどの子が私のことを知っていたのでその事はすぐ広まりました。

 

「ヒビって援交してるらしいね…」

「ヒビってさ24歳の彼氏いるらしいね」

「ヒビってさもう処女じゃないんだって」

「ヒビってもしかしたら男なら誰でもいいのかな」

 

中学生の頃はいろんな事言われてました。

 

そして気づいたら

お弁当に消しカスが入っていました。

 

私はニヤニヤしました。

 

「見なかったことにしよう」

的なこと呟いてお弁当閉めたっけな。

 

なにこれ〜wwwwww

もしかして私いじめられてる〜?wwww

 

 

そこから私は本格的にいじめを受けました。

 

男の子に脚を蹴られたり

 

帰り道イヤホンしながら帰ってたら

髪先がギザギザになってることもあった。

(多分切られたんだと思う)

 

その時ある声が家の中で聞こえたのです。

 

『あの子汚いよね』

『早く死なないかな』

『気持ち悪いんだよね』

 

これがいわゆる幻聴というものだと気づくのはまだ先の話。当時は怖すぎて家にあった瓶の風邪薬を大量に飲んでいました。

 

その頃からですかね。

リストカットを始めたのは。

 

学校のトイレでリストカットをして

先生にバレて手当してもらって

の繰り返しだったんで学校も行きずらくなりました。

 

 

そして、まぁ、もちろん学校は行かなくなりました。

当たり前っちゃそうかなwww

 

中学1年から3年までほとんど行ってませんでした。

 

 

中学3年生の冬からロリィタに目覚めた私は

お年玉をBABY, THE STARS SHINE BRIGHT

福袋に全部使いました。

そこから私のロリィタ魂は火がつき

axesなどでロリィタに近い服を集めてました。

 

これが完璧なaxesブスってやつですね(?)

 

 

もちろん中学は行ってなかったが

高校には行きたかったために

通信の週5通う学校に行きました。

 

頭はヘッドドレス、フリルのついたブラウス

茶色のスカートにはレースがついており

白タイツにベージュと茶色の制服だったため

axesで買った茶色のヒールを履いて学校に行ってました。

 

もちろん浮きます(当たり前である)

 

本当にその格好で行ってたため

男ウケは悪いし女ウケはあの子ぶりっ子と言われるしで大変でしたwww

(中には可愛いって言ってくれる子がいました)

 

高校で仲良くなったゆあちゃん。

こんなロリィタで話しづらそうな私に

話しかけてきてくれた子です。

 

すっごく仲良かったのですが

ある日、いつの間にか名簿に名前がなくなっていました。

 

心当たりがあるのは

私がゆあちゃんほっといて

他の子とかと話したり遊んだり

し始めたからだろうなって思いました。

 

「やらかした…」

 

ここ(この学校)にいる子はメンタルが弱い子ばっかなのでこうゆうことがたくさんあるのです。(もちろん気の強いヤンキーもおる)

 

それで私は勝手に一生分の傷を負いました←

(お前もメンタル弱いんかい)

 

そこから友達ができたり恋人ができたりしたのですがやはり不器用な人間であり、彼氏が出来たら彼氏だけになってしまい友達が消えていきました。

 

もちろんその彼氏さんは何も悪くないのです。

全部私が悪いんです。

幻聴が聞こえるって困らせた時も

「大丈夫、大丈夫」って言ってくれました。

 

今考えたら病気に関して医療者以外で一番の理解者だったかもしれませんね。

 

幻聴が聞こえて髪を坊主並みに切った時がありました。その時も一緒にいてくれた彼氏さん、髪があった時と全く変わらず一緒にいてくれました。

 

でも申し訳なくなり別れました。

 

周りの人は勝手なことばっかいいます。

「彼氏なんだから支えてやれよ」

違います。

私がこんなメンヘラ女が彼女だったらすぐ別れます。逆に1年よく付き合ってくれました。

すごい我慢させたなぁって。思います。

 

周りからは「結婚すると思った〜」と言われるし

本当ごめんなさいって感じです。

 

そして自殺未遂をしました。

3月のカルテ1に戻りますwww

 

そうして今こうやって隔離されているのである。

 

もう意味わからんッッッ!!!

私の過去長すぎッッッ!!!!

 

続きます。