3月のカルテ6

監禁されてもう何日が経っただろうか。

 

日に日に死にたいという気持ちが

重くなっていった。

 

ずっと部屋でぼーっと絵を描いてるだけの生活

 

 

ガチャッ

 

 

「お面会に来ましたよ。」

 

「母さん…」

 

「DVDプレイヤー持ってきたけど

リモコンがなかったんだよね〜」

 

は?

 

リモコンがなきゃつかないでしょうが!!

 

「どう?入院生活」

 

「なにがどうって…。監禁されてて

充実してるとか言えるわけないよ…」

 

「えー?仕事しなくていいし

携帯の通知気にしなくていいし

こんないいところないと思うけどなぁ」

 

マジで言ってんのかこの人は。

 

「第一隔離されてるのだって

ヒビが叫んじゃうからでしょ?

それはしょうがないんじゃない?」

 

私はこうゆう答えを求めてたんじゃない。

 

「つらかったね。頑張ったね」って

抱きしめて欲しかっただけなんだ。

 

 

 

「母さんはさ、ヒビが中1の頃さ。

統合失調症は殺人鬼に多い」って

ヒビに言ったことあったこと覚えてる…?」

 

そのまま母さんは少し考えたように

 

「…言った覚えないけど?」

 

いや確かに言った。

絶対に言った。

あれは幻聴なんかじゃない。

私に面と向かって言ってた。

 

私は怒った。

 

「帰れよ」

 

 

そう言って母さんは出ていった。

 

 

 

 

その後はボロボロ涙を流しながら

大声をあげていっぱい泣いた。

 

「私は、殺人鬼なんじゃないんだ!!

殺人鬼なん…かじゃ…ないんだよぉ!!

なんでそんなこと言うんだよ!!

ああああ〜〜〜〜!!!!!」

 

私はひたすらに泣いた。

 

やっぱ言われた本人は一生覚えてるけど

言った本人は覚えてないってことがわかった。

 

母さんはここまでいっぱい頑張ってきてくれた

 

1人で私のこと育ててくれて

休みなんて少ない状態で働いて

休みの日は私の診察で消える

 

そんな生活耐えられないと思うけど

母さんは本当頑張り屋さんなんだよなぁ。

 

けど上手くいかないことだらけだなぁ…

 

「つらい…つらいよ…」

 

とにかく隔離されている時

その時の気持ちを紙に書きまくった。

 

「今みんなどうしてるかな…」

 

母さん、父さん、

おばあちゃん、おじいちゃん。

そして友達。

 

もうダメだ。考えるだけで虚しくなる。

 

いつの間にかみんなに会いたい

という気持ちが出てきた。

 

死にたいと思っていた時は

芽生えなかった感情だ。

 

 

 

 

 

「あ、これが生きたいってことなのか」

 

 

 

 

 

2月7日自殺未遂をしたあの瞬間の前。

私はTwitterにあるツイートを残した。

 

 

身体がボロボロになっていくのはちゃんと生きてるって思えて幸せだった。何故自傷なんてするのか。よく聞かれた質問だ。私の場合心に受けたダメージはよく分からないけど身体に受けたダメージってわかりやすいから。なのである。顔がしわだらけで死ぬより若いうちに死んでいたい。欲を言えば髪が長くて細くて肌白で二重でってもっとこの身体にお金を使ってから死にたかった。好きだと愛してくれた人には申し訳ないしママにはたくさん愛情をくれた。パパにはたくさんお金を使わせた。おばあちゃんにはいろんなところにつれてってくれた。宮崎行きたかった。前回もODで死ねなかったし今回もまた同じ道に歩むかもしれない。世界がこんなに私に冷たいなんて思いもしなかった。好きだったアニメも好きだったロリィタも好きだった君ともお別れです。いろんな人に迷惑をかけていろんな人に愛されたけどこれが最後かも知れません。最後ぐらい誰かの温もりの中で。

 

 

 

こんな文章を残していた。

 

隔離されてから数日経った時に思った。

 

 

可愛くなりたい。

幸せになりたい。

好きなものは好きでいたい。

漫画で有名になりたい。

増田さんにサイン渡したい。

そして。生きたいって。

 

いろんな欲求が出た。

 

死にたいなんて気持ち正直なかった。

 

死にたいなんてもったいないなんて思えるようにまでなった。

 

色々考えてこんなところに閉じ込められてる場合じゃない。私は行動に移さなきゃと思った。

 

正直に言おう。

次の母さんと主治医の面談で。

 

 

続きます。

 

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いつも見てくださってありがとうございます!

この3月のカルテは実際にあった話(もちろん登場人物は偽名を使ったりしてますが( ̄▽ ̄;))

なんですが、研修医の増田さんとはこれ以外にもっと話してるんですよ!そうゆうのを漫画にまとめようと思います!良かったら私のTwitterをチェックしてみてください!!

あとフォローよろしくお願いします!!

 

@HiBi315

 

3月のカルテ5

保護室辛いと思うけど、俺早く来るから」

 

 

それを信じて絵を書いていた時のこと

 

 

保護室は8時就寝だよ」

 

「え」

 

8時消灯

 

はぁ!?6時間寝ても2時だぞ!!おい!!

ふざけんな!!!!!!!!!

 

はじめての保護室ライフは

頭がおかしかった。

 

最近のおじいちゃんおばあちゃんでも

8時就寝はないだろ…。

 

とか考えながら私はゆっくり眠りにつけるわけもなく、ひたすらに明日書く絵の内容を考えていた。

 

 

6時起床

 

8時まで食事が来ないがこのままゴロゴロしててもキツいだけだと思い起きた。

 

1時間ほど絵を書き続けただろうか。

 

いつもならデイルームに出てテレビをつけて

絵を書いてるんだけどなぁ…

 

無音で描いているとなんだか虚しくなった。

 

ガチャッ

 

外からドアを開ける音がした。

「だれ…?」

 

そこに居たのは主治医。

「先生…」

 

保護室入ってどうかな。

なんか、こう、暴れたい気持ちとか。」

 

「いや、元からそんなのないです…

とにかく出たくて出たくて…

とりあえず黙ってようと思って…」

 

「そっかぁ…ごめんね。

ちょっとヒビさんの声量だと他の患者さんがビックリしちゃうからさ…本当ごめんね」

 

「いえいえ、大丈夫です。

全部私が悪いんですから…」

 

「そんなことない。」

 

「いや、そうなんですよ。

入院のストレスをここに吐いてるだけなんです」

 

「申し訳ない…」

 

そう言って先生は部屋に鍵をかけて行った。

 

入院したのは何回もあるが

鍵をかけられたのは初めてだった。

 

正直今も動揺してる。

 

その日の朝。増田さんは来なかった。

 

 

どんどどどんどんっどんどんっ♪

 

なんだこのノックの仕方は…。

誰だろ…。

 

ガチャ

 

「やぁ。」

 

「増田さんかwwwwww

誰かと思ったよwwwwwwwww」

 

「朝ごめんね。

看護師にそうゆうのダメだからって言われちゃって」

 

「あぁ、そうだったんですか。

てか早く来てはくれたんですね。

ありがとうございます。」

 

「そうなんだよね。

別にいいじゃんかね〜」

 

「ねぇ〜」

 

増田さんとたわいのない話をして

増田さんはほかの患者さんのところに行った。

 

 

そう言えば母さんはいつ面会にくるのだろう。

 

あんまり来ないなぁ…。

 

私のお母さんはマッサージ師で

ラクゼーションサービスをやっている。

 

正直言ってかわいい。(母親なのに)

 

うちの家庭内環境はこんな感じです。

 

私が小学6年生の時母と父は離婚しました。

父は不倫(多分)をして母に暴力を振るようになりました。そして離婚したのが今の状態です。

 

隔離されて何も書くことないので

私のプロフィールでも。

 

2002年3月15日金曜日。

2800gぐらい(適当)の女の子が

横浜のど真ん中で産まれました。

それが私です。

 

幼稚園の頃は仏教の幼稚園通ってました。

謎に般若心経歌わされたなぁ(白目)

 

小学生の頃は下ネタ大好きな女の子でした。

いつも下ネタを話してはみんなから面白がられて正直女の子より男の子との方が仲が良かった。

 

そして私が修学旅行から帰ってきた瞬間

父と母が離婚しました。

 

日光に行って家族にお土産で買ってきたお蕎麦。

家族みんなで食べた最後のお蕎麦。

 

忘れません。

 

小6の頃の小説の題名が「家族」だった。

その時私は正直に母と父は離婚したと書いたら

学校の先生に怒られた。

意味がわからなかった。

ちゃんと私は本当の事書いただけなのに。

 

そのまま小中一貫で中学に上がりました。

 

私は父と母が別れたことに関しては

別にもうどうでもよかったのが本心です。

 

父が1階で暮らし

母が2階で暮らし

私が3階で暮らしてるっていう

本当に仲の悪い家族でした。

 

中学からは私の人生は

どん底へと引きずり込まれました。

 

「ねぇ、ヒビの親、離婚したらしいね」

「え〜?!そうなの?」

 

小中一貫だからほとんどの子が私のことを知っていたのでその事はすぐ広まりました。

 

「ヒビって援交してるらしいね…」

「ヒビってさ24歳の彼氏いるらしいね」

「ヒビってさもう処女じゃないんだって」

「ヒビってもしかしたら男なら誰でもいいのかな」

 

中学生の頃はいろんな事言われてました。

 

そして気づいたら

お弁当に消しカスが入っていました。

 

私はニヤニヤしました。

 

「見なかったことにしよう」

的なこと呟いてお弁当閉めたっけな。

 

なにこれ〜wwwwww

もしかして私いじめられてる〜?wwww

 

 

そこから私は本格的にいじめを受けました。

 

男の子に脚を蹴られたり

 

帰り道イヤホンしながら帰ってたら

髪先がギザギザになってることもあった。

(多分切られたんだと思う)

 

その時ある声が家の中で聞こえたのです。

 

『あの子汚いよね』

『早く死なないかな』

『気持ち悪いんだよね』

 

これがいわゆる幻聴というものだと気づくのはまだ先の話。当時は怖すぎて家にあった瓶の風邪薬を大量に飲んでいました。

 

その頃からですかね。

リストカットを始めたのは。

 

学校のトイレでリストカットをして

先生にバレて手当してもらって

の繰り返しだったんで学校も行きずらくなりました。

 

 

そして、まぁ、もちろん学校は行かなくなりました。

当たり前っちゃそうかなwww

 

中学1年から3年までほとんど行ってませんでした。

 

 

中学3年生の冬からロリィタに目覚めた私は

お年玉をBABY, THE STARS SHINE BRIGHT

福袋に全部使いました。

そこから私のロリィタ魂は火がつき

axesなどでロリィタに近い服を集めてました。

 

これが完璧なaxesブスってやつですね(?)

 

 

もちろん中学は行ってなかったが

高校には行きたかったために

通信の週5通う学校に行きました。

 

頭はヘッドドレス、フリルのついたブラウス

茶色のスカートにはレースがついており

白タイツにベージュと茶色の制服だったため

axesで買った茶色のヒールを履いて学校に行ってました。

 

もちろん浮きます(当たり前である)

 

本当にその格好で行ってたため

男ウケは悪いし女ウケはあの子ぶりっ子と言われるしで大変でしたwww

(中には可愛いって言ってくれる子がいました)

 

高校で仲良くなったゆあちゃん。

こんなロリィタで話しづらそうな私に

話しかけてきてくれた子です。

 

すっごく仲良かったのですが

ある日、いつの間にか名簿に名前がなくなっていました。

 

心当たりがあるのは

私がゆあちゃんほっといて

他の子とかと話したり遊んだり

し始めたからだろうなって思いました。

 

「やらかした…」

 

ここ(この学校)にいる子はメンタルが弱い子ばっかなのでこうゆうことがたくさんあるのです。(もちろん気の強いヤンキーもおる)

 

それで私は勝手に一生分の傷を負いました←

(お前もメンタル弱いんかい)

 

そこから友達ができたり恋人ができたりしたのですがやはり不器用な人間であり、彼氏が出来たら彼氏だけになってしまい友達が消えていきました。

 

もちろんその彼氏さんは何も悪くないのです。

全部私が悪いんです。

幻聴が聞こえるって困らせた時も

「大丈夫、大丈夫」って言ってくれました。

 

今考えたら病気に関して医療者以外で一番の理解者だったかもしれませんね。

 

幻聴が聞こえて髪を坊主並みに切った時がありました。その時も一緒にいてくれた彼氏さん、髪があった時と全く変わらず一緒にいてくれました。

 

でも申し訳なくなり別れました。

 

周りの人は勝手なことばっかいいます。

「彼氏なんだから支えてやれよ」

違います。

私がこんなメンヘラ女が彼女だったらすぐ別れます。逆に1年よく付き合ってくれました。

すごい我慢させたなぁって。思います。

 

周りからは「結婚すると思った〜」と言われるし

本当ごめんなさいって感じです。

 

そして自殺未遂をしました。

3月のカルテ1に戻りますwww

 

そうして今こうやって隔離されているのである。

 

もう意味わからんッッッ!!!

私の過去長すぎッッッ!!!!

 

続きます。

3月のカルテ4

「外出どうだった?」

 

「うん…たのしかったです」

 

私はゆっくり笑ってみせた。

 

 

『また死のうとしたんだろ』

『正直に言えよ』

『ま、お前のことなんてどうでもいいんだけど』

 

 

ま、増田さん…?

 

何でそんなこと言うんや…?(困惑)

 

まるで優しかった彼氏が急に暴力的になったようになっていった。このッDV男ッ!!

 

やめて!お腹の子だけは!!(いない)

 

今考えたら幻聴でしかないが

当時の私には「もぅマヂ無理。リスカしょ。。」

状態だったのである…。

 

病院では1番増田さんに心開いていたから

ショックがでかかった。

 

『ほら、死にたいんだろ?』

『はやく死ねよwww』

『死んだら増田さんが喜んでくれるぞ?』

 

違うッ…!!

 

そんなわけない!!!!!

 

増田さんは…私に…生きると会えるって教えてくれた…だから…だから…!!

 

 

『いいから、早くしないと警察くるぞ〜?』

 

 

「うっせぇんだよ!!」

 

 

大声をあげてしまった瞬間

デイルームはシーンと静かになった。

 

 

一瞬で我に返ったよね(((

 

 

死にたみが深かった…

 

すぐさま看護師さんや

その場にいたお医者さんに囲まれた。

 

「部屋行こう」

 

 

そうやって私は重い腰を持ち上げて

病室へと向かった…。

 

 

「ヒビさん、保護室行こう」

 

 

「っ…はぁ…?」

 

 

保護室とは、まぁ、自分をコントロールできない人とかが入る場所で暴れたり叫んだりすると人が入る対象となる…。

 

「ま…、待ってください!

実は幻聴なんて大嘘で実は全部演技で…?」

 

 

なんで今更そんなすぐバレるような嘘を…

 

「うーん。あれ全部演技だったの…?」

 

お?これは信じてる(んなわけない)

 

「はい!」

 

増田さん…

そんな苦しい嘘だなぁって顔しないで…

 

「だっ…だって…ほ、保護室は…い、嫌だぁ!」

 

そう言って私は涙をボロボロこぼした。

 

なんでこんな辛い思いをしてるのに

こんな辛い思いを病院側からさせてくるんだ。

 

こんなのってないだろ…。

 

増田さんに背中をさすられながら

私は扉の向こうの保護室へと向かった。

 

 

 

「あぁぁぁあぁぁぁあ、しんどい」

 

「しんどいよなぁ…」

 

「だってJKにこれはきついだろ!」

 

ひとつの部屋には

トイレ、ベット、防犯カメラしかなく

防犯カメラから目の前にトイレがあり

 

ドアはドアノブがなく外からしか開けられなくなっているのである。

 

もちろん外なんて見させねぇ。

くもりガラスだぜ?って感じ。(腹立つ)

 

「牢屋かよここはァ!!」

 

そしてまた増田さんの前で泣いた。

 

主治医め…このタイミングでどっか行くとか、

どうゆうことだよォォ!!(忙しいんやな)

 

 

「なぁ…俺からもちょっと言ってみるよ…

流石に保護室は酷すぎるよ…

研修医の俺じゃ何も動けないかもしれないけど…」

 

「この世の中を! ウグッブーン!! ゴノ、ゴノ世のブッヒィフエエエーーーーンン!! ヒィェーーッフウンン!! ウゥ……ウゥ……。ア゛ーーーーーア゛ッア゛ーー!!!! ゴノ! 世の! 中ガッハッハアン!! ア゛ーー世の中を! ゥ変エダイ! その一心でええ!! ィヒーフーッハゥ。一生懸命訴えて、西宮市に、縁もゆかりもない西宮ッヘエ市民の皆さまに、選出されて! やっと! 議員に!! なったんですううー!!!」

 

 

いやいや野々村やってる場合じゃないから

 

わたしこれから閉じ込められるんだぞ

 

監禁ぞ??我監禁ぞ??

 

この時はまだ監禁の恐ろしさを舐めてた。

 

「はい、食事でーす。」

 

看護師さんが持ってきてくれた

ちっちゃいトンカツにはソースがかかっていた。

 

普段ならソースは自分でかけられるのに。

 

そこで自分が隔離されているという実感がしみじみされていった。

 

「ほら、早く食べちゃいな?

俺横にいるから…」

 

増田さんはベットの上で食べてる私の横で

横にいてくれた。

 

「外出つらかったんだよね。」

 

「え…」

 

「君が今回の外出で死にたいって思ってたかもしれないからこの話するけど。」

 

増田さん、わかってたんだ…。

 

 

「俺…大切な人が死ぬってこんなに辛いことなのかって、思ってさ…」

 

「俺、この研修が終わったら病理診断科になるから、君が、君たち児童精神科の子どもたちが最後の患者になるんだよ…」

 

「俺は…君が症状を収まることを切に願ってる…でも、でも、それでも死にたいって思うなら。わがままだけど、俺が悲しいんだ…」

 

 

「増田さん…」

 

 

「実は私、今回の外出で死のうと思ってました…親の目を盗んで…」

 

「でも、増田さんは1人の命を救いました…」

 

「あの手紙で、私という命を、私という存在を増田さんは救ったんです。」

 

「朝、増田さんと約束しました…。

有名になったらサインを渡すって…。

有名になるまで…生きる希望だぁ…って…

そう思いました…。」

 

 

増田さんは照れたような顔で

 

「早く食えッッッ!!」

 

って言いました。

 

 

続きます。

3月のカルテ3

「ぶっ殺す!!」

 

「ひびちゃん?お薬飲みましょう」

 

「っざけんな!!

殺される前に殺す!!!」

 

「ううん。誰も殺さない。私たちが守る」

 

「うっせぇ!!!!」

 

「仲里さんっ…!」ハァハァ

 

増田さんがナースステーションから

走って来てくれた。

 

「殺せ…殺せ…」

 

ヒューヒューという音を出して息をしてる。

 

「お薬飲みましょう?手を出して?」

 

この時私は倒れて増田さんに抱きかかえられたらしい。(解離してたので記憶が無い)

 

 

 

「もう嫌だ…こんな自分が嫌だ…」

 

ベットで主治医から何があったか聞いた。

 

もう嫌だ…こんなの嫌なんだ…。

その時大泣きした。大号泣だ。

ゲリラ豪雨が来るぐらい泣いた(謎)

 

 

 

「ヒビさん、3月7日退院しよっか」

 

そこにいた人全員が固まった。

これこそ、ザ・ワールドか…(?)

 

「えっ…な、なんで…?そりゃ嬉しいけど、

こんな状態で出れて…大丈夫かなって…」

 

「今のヒビさんにこの状況、この環境が

あってないと思うんだよ。」

 

「お母さんの都合がよかった退院しよう」

 

周りの人間が思った。

(本当にこのまま出して大丈夫なのか、と)

 

 

 

 

 

 

「まーすーだーさん!はい!!」

 

「なっなにこれ?」

 

「増田さん3月8日誕生日でしょ!?

イラスト描いたんだよ〜!!」

 

そうなのだ。

実は一週間前からこの絵を描いていた。

看護師さんにラミネートをしてもらった

 

「あ、看護師さん!こんにちわ」

 

「なにそれ?あ!増田さん?お気に入りだね!

そのイラスト書いたらラミネートしてあげるよ!」

 

「えぇ〜〜〜〜!!????!!!?

ほんとっですかーーーー??!!!?!

や"っ"た"〜〜〜!!!!!」

 

 

「ってことがあったんだよ!!」

 

「えっ…あ、うん…あ、ありがとう…」

 

は!?なんだこいつ!もっと喜べよ!

一週間前から描いてたんだよこっちは!

 

「う、嬉しくない…?」

 

「い、いやぁ…?もうなんていうか…

嬉しいっていうか…こうゆうの初めて貰ったから…照れちゃって…だから…その…へへ」

 

なんだ童貞か。(違う)

 

 

3月5日

「えっへへ〜( ^ω^ )

退院だ〜〜〜!!!!」

 

「おいおい、まだ決まったわけじゃ…」

 

「あ!7日お手紙ください!!」

 

「えっ!?…それは…患者と医者として

ダメじゃないかな……??」

 

「大丈夫大丈夫!バレなきゃ犯罪じゃないんですよォ〜?」

 

「犯罪レベルに手紙ってダメなのかwwww」

 

3月6日

「お母さんがダメだって…

だから外出をしましょう」

 

「はいいぃぃいいいい!!???!!??」

 

まぁ、なんとなく想像はついていた。

 

そりゃ暴れるような娘が帰ってきても

大変だよなぁ……って思うしかなかった。

 

死ぬには狙うは明日だ…。

明日母さんの目を狙って死んでやる…!

 

 

 

3月7日

「仲里さん。はい。」

 

「えっ…?私退院しないよ…?」

 

「せっかく書いたんで」

 

【誕生日のイラストありがとうございました。

退院して外来フォローになったら治療に関わることはできませんが症状がなくなることを切に願っています。

マンガで有名になったらサインください(笑)

PS.イラスト恥ずかしかったけど本当に嬉しかったんですよ!

 

増田晃介                                                          】

 

 

「…」

 

この時私は正直泣きそうになった。

このあと私は死ぬ予定だった。

 

「ま、増田さん…

あの…私、頑張ります!

いっぱい漫画描いて有名になって、

増田さんにサイン渡します!!」

 

「おっ?ほんと?なら生きてね」

 

あっ……

 

サイン渡すってことは…生きるってこと…

 

死ねない…

 

「…もちろん!死なないよ」

 

 

 

 

 

「あ、」

 

『お前なんて死ねばいいんだ』

『すぐそこの車に轢かれて死ぬがいい』

『死ねばいいのになぁ〜』

『早く死ね!!バカ!!』

 

 

あ、これはあかんヤツや…

 

家に帰ってきて聞こえてくるって…

どうゆうことだよ…

 

 

 

「もう本当に死んじゃおうかな」

 

 

その時握っていた手紙を見つめた。

 

増田さん…

 

ダメだ…死ねない…増田さんに渡すんだ…

 

漫画家になって…がんばって…

 

『だからがんばって生きてほしい。

つらいと思うけど…』

 

私はその時増田さんの言葉が頭によぎった。

 

涙がぼろぼろでた。

 

気がついたら窓から体を乗り出して

あと少しで落ちそうになっていた。

 

 

どっと冷や汗をかいた。

 

 

その時我に返った。

 

病院戻ろう…。

 

時間より少し早めに帰った。

 

 

 

「あ、おかえり」

 

 

「増田さん…ただいまです。」

 

 

 

 

この増田さんがいてくれる病院に

安心しきってる私がいた。

 

病院に依存するとかダメなのにね。

 

続きます。

 

3月のカルテ2

増田さんは2月は成人の精神科の担当だったらしい(だから斎藤さんの担当だったのだ)

3月からは児童精神科になるらしいので心のどっかで楽しみがあった。

 

増田さんに似顔絵を描いてあげた。

 

「ヒビちゃんは増田くんの似顔絵を描くのに私のは描いてくれないのね。」

 

的な事言われてワイ氏漏れそうになった(?)

 

その時2月の担当研修医の南岡さんは

増田さんに嫉妬をしていた。

 

「増田くん、すごく研修医のみんなに自慢してたよ。どんだけ嬉しいんだってね。」

 

増田さんが喜んでくれて嬉しい反面正直その言葉が怖かった。だから私は2月31日急いで南岡さんの似顔絵を描いて渡した。怖かった(2回目)

 

3月

「よっ!今日から担当研修医になる増田って言ってもわかってるかwww」

 

そう言ってこの研修医は私の横に座る

 

「仲里さんのことあんまり俺わかんなくて。

担当じゃなかったからカルテも見てなかったからさ。だから教えてくれる?」

 

なんだその乙女ゲーで言いそうなセリフは。

 

「アニメとかいつから見てるの?」

 

ハルヒとからき☆すたが流行った時代から見てるから…幼稚園頃かな」

 

「幼稚園!!!!!!!!!

好きなアニメは?」

 

キルラキルっていう制服がテーマの話」

 

「あれ好きなの?www」

 

そんなようなオタトークを続けていた。

そんな時間が楽しくて楽しくて仕方がなかった。

 

 

「じゃあ本題入るね」

 

「え?」

 

「なんでODしちゃったの?」

 

は…?

 

時が止まった。

ザ・ワールドか…?これは…。

 

「えっ…いや…その…」

 

「大丈夫だよ。」

 

吃る。

 

あの時の記憶がドドドドドドって

蘇ってきた…。

 

冷や汗が…。

 

「…し…し…死にたかった…。

死ぬこと…は…怖くなかった…。

みんな…ひどいんだ…。

みんな…私に死ねっていうんです…。

ご飯食べてる時も、お風呂入ってる時も、

「お前にそんな価値ない」って…

もう…いっそ死んじゃおうかな…って…

大量に…薬を飲みました…」

 

そうなのだ。

 

 

親、友達から貰った愛情、友情は

その時は嬉しいけど

 

辛いことがあったら

上書き保存されて忘れちゃうものである。

 

例えば仲の良かった友達と

喧嘩したらその子との記憶は喧嘩で

終わってしまうということ(語彙力足りない)

 

それは親でもそうなのだ。

 

統合失調症って殺人鬼が多いんだよ」

 

「幻聴?俺だって聞こえるよ。

酔っ払った時にな。あっーーはっはっはwww」

 

 

その誰もわかってくれない気持ちが

抑えきれなくなり私は

取り返しのつかない腕ではなく

髪を切ってしまいました。

 

ロングだった黒くて長い髪を

私は涙で顔がぐっしゃぐしゃになってまで

ハサミで髪の毛を切っていました。

 

こんなこと辞めたいのに…

 

 

 

増田さん…?

 

そこに居たのは困った顔の増田さん。

 

なんでそんな顔するの。

 

いつもみたいに軽く受け流してよ…

 

 

「実はね、俺親と縁切ってるの。」

 

「えっ…」

 

「殴られたり蹴られたりで

いろいろあって広島からこっち横浜に来た」

 

「どうせ親なんて血の繋がった他人なんだし」

 

「20歳過ぎれば道なんてめっちゃ出来るんだし」

 

「だからがんばって今生きてて欲しい…

つらいと思うけど…」

 

「20歳過ぎたらいろんなこと出来る!

 

俺なんて高校時代の友達なんて誰一人いないし

酒だって飲める!!!

鉄砲の免許だって持てるんだ!(これは謎)」

 

「俺は今が一番楽しいなぁ。」

 

「君が20歳過ぎててさ!

偶然横浜とかで会ったら一緒に酒飲もう!」

 

「たった少しの可能性だけど

生きてれば必ず…会えるから」

 

そう言ってくれた増田さんがいつの間にか大好きになっていった。

正直嘘の言葉でも嬉しかった。

 

「うんっ…!」

 

ありがとう。増田さん。

 

 

 

 

この日の夕方、私は解離した状態で

病棟内で大暴れをした。

 

続きます。

3月のカルテ1

2月7日。

私はOD(オーバードーズ)で自殺未遂をした。

 

目が覚めた時は病院の天井。

アニメとかでよくあるやつや…っと

ちょっとテンションが上がった。

(その時点で元気である)

 

「あ、ヒビさん?目が覚めた?」

 

ここの病院の看護師さんだろうか。

 

鼻に管が入っていてうまく喋れない。

喉になんか入ってる感覚がある。

気持ちが悪かった。

 

「そういえば私もヒビさんと一緒で母子家庭なの。お母さん、心配してると思うよ。」

 

あ、母さん。

私は母さんを置いていこうとしてたのか。

そう思うと涙が出てきた。

 

看護師さんはティッシュで涙を拭いてくれた。

 

「つらかったんだね。」

 

その言葉で記憶が飛んでるから

多分薬が残っててまた寝たんだと思う。

 

2月8日。

朝はうるさかった。

ここは救急病棟らしい。

 

「仲里さん。」

 

この人は私が前に精神科で

入院した時の入院主治医。

木谷先生だ。

 

「今日から精神科病棟に移るんだ。

1週間から2週間そっちで入院してもらおうと思うんだ。今の君は精神が安定してないから」

 

精神が安定してるとかしてないとか

正直その時の私にはわからなかった。

 

ベットごと移動されたところは精神科病棟。

 

そこで1日監視カメラ付きの部屋で

腰に安全ベルトつけて監視されていた。

Q.これなんてプレイ?A.放置プレイ

 

とりあえず当時の頭の中には

家に帰ったら次はどう死のうしかなかった。

 

とりあえず今のこの状況が辛すぎる。

 

喉が渇いて死にそうだった。

 

胃洗浄をしたからなんたらかんたらで

黒いうんちが出なきゃ飲むのも

食べるのも禁止らしい。

 

私はナースコールを押してある決断をした。

 

「うんち行かせてください」((キリッ

 

トイレに10分ぐらい閉じこもり死ぬほど踏ん張った。踏ん張りすぎて鼻に入ってる管が痛かった。便意のない状態で踏ん張った結果。

 

真っ黒のうんちが出た。(汚くてごめんなさい)

そんな綺麗なバナナうんちではなかったが

コロコロとしたうさぎみたなやつ…(?)

正直こんなの出たに入るのかってレベル。

 

看護師さんにドヤ顔でうんちを見せる。

 

私は心臓がバクバクで死にそうだった。

これが認められなかったら

私はお茶も飲めない。

脱水で…死ぬッッッ!!(大げさ)

 

「はいおっけ〜」

ジャァ〜(流した音)

 

私はちょっと悲しい気持ちになった。

頑張って出したうんち。

そんな簡単に流さないでくれ…。(え)

 

うんちに感情移入していたのだ。

 

「あ、喉乾いたでしょ?

病院食のお茶余ってるから飲む?」

 

私はこのために頑張ってうんちを出した…。

それなのに…それなのに…!

 

「お茶大丈夫です(真顔)」

 

何を言ってんだ私はァァァ!!!!!!

 

「あ、そう?じゃあ置いておくだけ置いておくから飲みたかったら遠慮なく飲んでね」

 

さすが看護師さん!!

私ならできない気配りッッッ!!

そこにシビれる憧れるゥ!!!

 

貰った瞬間。看護師さんが行った瞬間。

コップ一杯のお茶が0.5秒で無くなった。

 

感動だった。

ここは砂漠地帯のオアシスとまで思った。

 

そのまま私は精神科の硬いベットで眠った。

 

2月9日やっと部屋から出れるようになった。

 

精神科の病棟というものは

テレビが一つしかなかった。

 

しかもそこにあるのは

デイルームと言われる場所。

 

そこで私は入院時にもらう冊子の

空白をびっしりと看護師さんに

借りたえんぴつで絵をひたすら描いていた。

 

そこで知り合ったようちゃんという患者さん。

髪色が青色だった。綺麗だった。

 

彼女は食事だけ出されてそれ以外は隔離、施錠をされていた。正直可哀想で仕方がなかった。

 

ようちゃんは食事時に教えてくれた。

「私は刃物持ち込んで施錠されてるんだ」

 

(本当はこうゆうこと言っちゃダメらしい)

 

私は驚いた

ここの病院で入院したのは3回目とか4回目とかだけど私はここに刃物を持ち込むって考えをしたことすらなかった…。

 

リストカットってそんなにしたいものなのか。

私の中でそれが議題としてされていた。

答えはしたいものだった。

 

私の腕にも数十本の傷があった。

 

辛いことがあったらすぐ腕を切っていた。

 

そんなんじゃ死ねない。

 

だから薬を貯めて一気に飲んだ。

 

なんとなく私がODをした時の

記憶が蘇ってきた。

 

その時の食事はめっちゃ残した。

 

 

「絵上手なのね!おばさんのことも描いて」

 

なんだこのババア

斎藤さんというらしい。

 

「私の学生先生(?)がね?

クッキングパパにそっくりなの!」

 

どうでもいい(学生先生にはツッコみたかった)

 

「あ、そうなんですねww

その学生先生(?)はなんて名前なんですか?」

 

「あ"〜〜なんだったしら。

たしか…増田…?」

 

「へぇ…じゃあ増田さん、クッキングパパなのはもしれないですね。(適当)」

 

入院患者さんたちとも結構慣れてきた。

その代わりと言っちゃなんだけど、

1.2週間しても私の退院は決まらなかった。

 

 

なんだかんだ1人で絵を描いてる時間が多かった。ポプテピピックのピピ美ちゃんを描いている時のこと。事件は起こった。(事件ではない)

 

「ピピ美ちゃん…?」

 

背後から謎の男の声が聞こえた…!

これは…誰だ…!!

すぐさま後ろを向くと立っていたのは

真っ黒のスクラブを着たお医者さまが…!

(今真っ黒って打ったらうんちって出て笑った)

 

「(え?新しい担当?え?誰?ポプテピ知ってるの?え?お医者さんでオタク?)」

 

誰なのぉぉぉぉぉおお!!!!

 

次の日

クッキングパパがね!また面白いのよ!」

 

「あ、そうなんすねww」

 

「あっ!クッキングp((ry

学生先生〜〜〜!!!!!!!」

 

このババア!!!!!

クッキングパパ言いやがった!!!

 

「だから!私は学生ではなく研修医!」

 

「「あ」」

 

そこに立っていたのは真っ黒のスクラブを着たお医者さま…!!!!!!!!

 

増田さんってあなただったのね!!!!!

 

これが増田さんとの出会い。

 

続きます。

 

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